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岩田 弘史

ちゃんと死ぬはちゃんと生きること



遺言・相続・尊厳死宣言などを主に手掛けたいと行政書士を始めた。

日本人は次の世代へのバトンタッチがなぜかぎこちない。

おそらくかつての家督相続の因習だけが形骸化して残り、意思を示すことがどこかぎこちなく、不謹慎な行いに感じてしまう癖がついているように思える。

その一方で離婚数は増え、核家族化は進み、少子高齢化が進み、かなりいびつな世代状況、家族状況が進んでいる。

家族とは、みんな元気な時はいいが、親が年老いた時こそもっとも必要な人のつながりなのだと、超高齢化のなかで思い知る。

動けない、寝たきり、言葉にできない状態になり、人も動物も、生き物は必ず老いて死ぬ。確実に死ぬ。この死ぬを活かすためにはちゃんと生きることなのだ。

遺言という意思があることで、相続は亡くなった本人が主人公になり、遺産分割が進む。

病状が悪化し、回復不能な状況に陥った時、尊厳死宣言があれば生命維持装置である人工心肺を止めるという行為は、本人の意思による行為となる。

認知症や知的障害の最大の困難は、その人の意思が見えにくいということだ。

ちゃんと死ぬとは、本人が意思を伝えて死ぬことであり、それは生き方そのものなのだ。

死を遠ざけるばかりでは、多死社会はパニックになるだろう。

そのパニックを少しでも和らげるのが遺言書であり、尊厳死宣言である。

このような「心の相続」は、それを目の当たりにした家族の生き方をまっすぐにする。

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